新しいこんな時代の、新しいアソビかた

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まさかの疫病

疫病が蔓延し、誰もがマスクをし、外出が憚られる。

そんなときが来るなんて本気で思っていた人は、きっと精神科でさらっと病気にされていただろうね。

もっとも、それ自体は今までだって何度も「予感はあった」ことであり、ただし現実にそうならない限り心配するのはその効果に対して損失が大きいから「無視せざるをえない」ことでもあった。 最近で一番強い予感は鳥インフルエンザかなぁ。あれも本当に蔓延してたらやばかった。

実のところ、SARS-CoV-2というウィルスは、地獄のように厄介、ってわけじゃない。 これがノロウイルスみたいに死滅させることが困難だったり、空気中で長期間生存するようなものだったりしたら、もっと本当に地獄絵図だっただろうと思う。 正直、感染力はそんなに高くはないよね。いや、そんなに高くないと言っても、対策によってインフルエンザが激減したわけだから、「インフルエンザより高い」って言ったら相当高いって話になるんだけど、感染力ヤバイ系じゃない。

ここまで抑え込めているのは、尋常ならざる努力・労力があった、ということは確かなんだけど、人間の力でギリギリなんとかなるレベルだった、という前提はあると思う。

疫病は時代時代ごとに襲いかかるものではあり、結果として人類はそれを(多大な犠牲を払いながら)乗り越えてきている。

そして、この疫病を乗り越えるために確実に必要だったのが、「自粛」だった。

自粛生活

個人的にはコロナ禍によるダメージは、比較的小さかったほうだとは思う。 かなり軌道修正を強いられた部分はあるけど、その中でうまくやったんじゃないかな。

で、自粛生活だけど、これはもう、適性の差が出るよね。 部屋から一歩も出ないでいられる人もいれば、一人の時間が苦痛で仕方ないって人もいるし。

私は中間くらいかなぁ。一人でいることを好むわけではないけれど、よほど気を許している人でなければ一緒にいることを嫌うし、それとは関係なく家に閉じこもってると鬱になっちゃっておかしくなっちゃうから。 散歩が好きで、空を見ることが好きで、放浪癖がある。そんな私は、いつだってふらっとでかけていたし、週に何度かはちゃんと外出しないと落ち着かなかった。カフェ作業とかもよくしていたね。家の環境を整備していたのに。

だから、自粛生活はストレスではあるなぁ。 もともと有事型の人間なので、「普通の生活」ができないことには耐性があるけど、ストレス耐性が高くてある程度の緊張を維持することができる、っていうのはストレスを感じないってわけではないし、冷静を保てるからって疲れないわけではないからね。

本当に外に出なくなったし、ずーっと家にいる。 散歩もしなくなったし、まぁおかげで健康問題もあるよね。

それよりも、趣味が消えるのが大問題。散歩できないし、街にも出られないし、じゃあなにするの?って。 いや、もともと最近はなにしてるんだろうって感じではあったんだけど。それでもほら、外に出たりゲーセン行ったりはしてたから。

2020年中は「もともとの生活スタイル」に対して探り探りという感じではあったね。 ゲーセン行けないかなぁ、とか。

おうちライフを充実させよう

でもね、その中で「おうち」重視に切り替えていってはいたんだ。

もともと、2019年に引っ越したんだけど、その時点ではおうちの重視の仕方が今とちょっと違うんだよね。

私の場合、家は職場でもあるから、作業空間として快適であることが第一で、次にいかに休めるか、というとこになる。 忙しくなるほど家で過ごす時間が増えるから、私は収入に対して家にかけているでコストがかなり高い。結構いい家に住んでたりするんだよね。

これについては、今でも特に違和感はない。家にいる時間がさらに長くなっているせいもあるけど、やっぱ私が一番コストかけるなら住部分だよね、って思うから。 住を軽視する人多いけど、かなりアリな話だと思うよ。こういうときに困ってる人も多いし。

でも、そこからの流れを見ると、興味深いことになる。

  • 2019/5 おひっこし
  • 2019/5 作業部屋バージョンアップ
  • 2019/12 ゲーム「Asseto Corsa」と「Project Cars 2」を購入 (ハードウェアがないのでプレイはあまりしてない)
  • 2020/5 寝室にエアコンを導入
  • 2020/5 VOEZをはじめる
  • 2020/7 作業部屋をバージョンアップ
  • 2020/7 新しいPCを組む (Ryzen7 3700X / RX5700XT)
  • 2020/8 寝室の「秘密基地感あるPC環境」化と寝室でエロゲをプレイできるようにする
  • 2020/11 作業部屋にめっちゃいい椅子と、後傾姿勢で作業できるデスク環境を導入
  • 2020/12 作業部屋にエアコンを導入
  • 2021/1 家に防音室を設置・ドラム(VAD506)を導入
  • 2021/1 Project Radio Harukamy 始動/宅録環境整備
  • 2021/2 ゲーム「原神」をはじめる
  • 2021/3 いいヘッドフォンを購入
  • 2021/4 作業部屋をアップグレードし、4kモニタ3枚にする
  • 2021/5 ゲーム「Vindictus」をはじめる
  • 2021/5 Razerのゲーミングデバイスを揃える
  • 2021/6 自宅用ラップトップを購入する
  • 2021/6 ゲーム「ソウルワーカー」をはじめる
  • 2021/6 寝室にすっごいいいベッドを導入する
  • 2021/8 自宅ドラム環境をTD-50X(VAD706相当)にアップグレードする
  • 2021/8 ゲーム「Project Cars 3」を購入 (ある程度やってる)
  • 2021/8 寝室にストーリーマー(ゲームの)みたいな環境をつくる
  • 2021/9 作業部屋をバージョンアップ (これで理想形)
  • 2021/10 新しいPCを組む (Ryzen9 5950X / RX580)

2020年中は、基本的に作業部屋に更新が主で、「長時間作業できる作業部屋」「休める寝室」という明確な考えがあった感じだよね。 この時点ではそれまでの生活とあまり変わってない。外に出る出ないに関わらず、仕事は家でする割合が高いから作業部屋は効率的に作業できるようにしていたし、また短い時間で仕事を達成し、短い休みでもしっかりと回復できるように、と考えてたんだね。 これは私にとっては昔からの方向性。

でも、2021年を見て欲しい。 まず家に防音室を入れて最高級のドラム環境を構築し(もちろん、これは2020年から進行していた計画)、そこからさらに宅録環境を構築し(こっちはお仕事寄り)、かと思いきやめっちゃゲームするようになって、ゲーム環境を構築するにとどまらず配信者みたいなことになって、ガンガン自宅環境に投資してる。

もともとの趣味だったドラムを自宅に持ってくると同時に、趣味として成立するくらいゲームを始めたわけだね。1

一方で、2020年7月にFind X2 Proを買ってるんだけど、スマホはほっとんど触ってなくて、スマホの存在意義にすごく疑問を抱いてる。 家から出るときに持って出てすらいないからね…………

楽しく過ごせてはいるけど

家でドラムとゲームができれば、割と満足…というか、そもそも遊ぶ時間なんてそんなないので、そこらへんを普段やるようになるとそれ以上他のことをする時間がそもそもない。 仕事もまぁまぁ忙しいし。

Rolandはコロナ禍になって結構売上伸ばしたみたいだし、これを期に楽器を始めた人とかも多いんじゃないかなぁ。 配信始めた人も多いだろうし。ゲーム始めた人なんかすごく多そうだよね。

そう、外に出られないなら、家で楽しめるようにするっていうのは結構健全なことじゃないかと思うんだ。 実際、割と楽しんでるよ。時間が足りないくらい。

でもなぁ。

正直、ゲームそこまで好きじゃないというか、いやまぁ好きなんだけど、仕事終わってゲームしてたら夜中ですってなったとき、私としては「今日という日に満足してない」という気持ちが強くなっちゃうんだよね。

どんなに環境を揃えても、まあ満ち足りない部分があるのは事実だよ。

言うならば、今までだって私はひとりだったし、それは選択的にひとりだった。 積極的に人を遠ざけてたわけだから。

けど、こうして家でひとりで過ごすことを前提にして充実した日々を送ることは少し意味が違うんだよね。 もともと人と接したり出会ったりということがなかったとしても、確率の程度はおいといて「接点を生んで人生を変える可能性」は存在してたんだけど、こうして過ごしている今は現実的にはないといって差し支えないから。

その意味でいうと、引きこもりが孤独を愛せるかは別だよっていうのはすごく思うよね。 引きこもりが、SNSとか、他者とのコミュニケーションの場一切がなくても平気でいられるかっていう話があったりするから。 なお、本当にコミュニケーションなくて平気な人もいるからね。さすがに体温がない世界で平気っていう人は稀だけど、人が活動している実感を得る手段(例えば、SNSを見るだけとか)があれば平気っていう人は少なからずいるから。

でも、家から出られないなら、家でできることを探すように、発想や見方を変えれば発見もある。 ZOOMとかTeamsとか、ビデオ会議・ビデオ通話なんかしたことなかった人が今回を機に使うようになったという人だって多いと思う。 それは、前々から存在はしていたけど、ただ接点がなかっただけなんだよね。

今の時代のつながりかた

私はドラム配信をしてみた。

私のドラムの腕前はたいしたことないので、内輪でってことになるんだけど、ウェブカメラを使ってWhereBy, Telegram, Discordで配信した。

WhereBy、以前は「4人まで」というルームサイズの制限だったんだけど、今はZOOMみたいに「45分まで」という時間制限になっちゃって、ほとんど使えないんだよなぁ。 有料プランはルーム数増えたりするんだけど、別にそういう方向性が欲しいわけじゃないし、ちょっと困った。

ウェブカメラを使って配信っていうのはビデオ通話と変わらないし、特に公開ストリームじゃないからなおさら普通にビデオ通話みたいな感じだよね。 ちなみに、VDrumsはオーディオインターフェイスになるので、結構簡単に配信に使えるよ。

ビデオ通話って私としては親密な遠距離コミュニケーションツールとして捉えてたんだけど、「なにかしてるところを映す」っていうのは結構可能性を感じる。

音楽のリモートセッションという概念は割と最近ながら確立されているし、演奏配信はかなり前からあるけど、距離という概念を越えるよね。

そしてゲーム配信。

これこそ昔からあるじゃんって思うかもしれないけど、Discordで配信すると全然違うように感じた。

私のプレイを友人がみながらおしゃべりするっていうのは、まさに子供のころに家に集まってゲームしていたのと同じ感覚で、「テクノロジーが従来の制約を取り払った」って感じがした。

個人的にはネット対戦ってあまり好きじゃなくて、レースゲームがローカルマルチプレイできなくなったことをすごく残念に感じているんだけど、これはそういう「ローカルマルチプレイからネット対戦に時代が移った」というプレイスタイル、ゲームスタイルの変革とは別なんだよね。 楽しみ方としては、むしろ古臭い。

そう、テクノロジーの進化が、そういう古臭い、昔からある楽しみを拡張してるんだなって思う。 だから、そのテクノロジーのネイティブ世代じゃない私なんかにとっては、当然のように前提に置かれていることが、なくたって構わない時代になっている。

ゲームを配信するのは特別なことじゃない。 一緒にゲームをするのに離れていたって構わない。

例えば恋人同士で遠距離恋愛だったり、近くにいられないとしても、今できることはただ寂しさと愛を語ることだけじゃない。 デートはできなくても、一緒にゲームをして遊ぶこともできれば、自分が今見ている景色をシェアすることだってできる。

そうして時間的・空間的垣根が取り払われていることは、「実現している」という状態だけ見ればどうということはないかもしれないけど、なにが実現されているかっていうと、ものすごいことだよね。 「情報が実在を埋める」ということもそうだし、世界の摂理を捻じ曲げていると言っても過言ではないほど、自然な前提が壊れてる。

配信は「配信者になって人気者になるためのもの」みたいな常識にとらわれてツールをとらえるのはすごく旧時代的な有り様なのかもしれない。 テクノロジーとツールが、今この時代の苦難を工夫次第でどうにかなるものにしているとも思うし、そう考えるとこの疫病に関係なく私達はいつの間にか無数の制約から解き放たれていたんだ、ということを思う。

見方を変えると、あたかも昔が自然なことで、今の世界はそれに対して見劣りするようなものであるように見える人もいるだろうけれど、そもそも人間が得ようとするものはプリミティブなもので、基本的には変わらないと見ることができる。 それは、例えば時間や感覚を共有すること、コミュニケーションを取ること、一緒に遊戯すること。

今技術によってその手段が広がって、実現の仕方が多様になった。 人間はプリミティブなところで変わらないとすれば、手段が広がって多様になったことで、それが使いこなせず一面的には質的に劣っている面もあるかもしれない。 足りなければ足りないで工夫するものだしね。

でも、今のありようが正しいという視点で見れば、昔は単純に欠けていたって話になるよね。

これは今から見た視点でも過去から見た視点でも、結局は変わらない。

子供の頃放課後に家に集まって友達とゲームしたことはあるだろうか。そして、それはいつくらいまでだろうか。 友達と疎遠になった、友達と地理的に遠くなった、時間がなくなった、そんな理由でよほど熱心な人でない限り「一緒にゲーム」する日々を続けてはないんだろう。

でもね、Discordでゲーム画面を共有しながらおしゃべりする。 それはまさに家に集まって一緒にゲームするような感覚。 これがマルチプレイのゲームで同時にプレイしていればマルチプレイ可能なゲームで一緒に遊んでいるようなものだし、観ているだけならひとりがやっているところをみんなで観ている、みたいな感覚に近い。

さらにネットとスマートフォンの力によって観ているほうはさらに可能性が広がってすらいる。家に集まってプレイしているときなら、なかなか「なにかをしながら」とはいかなかったけれど、ゲーム配信なら何かをしながら観ていられる。

これは、距離を飛び越えるだけじゃなく、「時間的に難しい」という要素を、よりカジュアルに実現できるようにすることで、家のことをしながらだってできるようになってる。 社会的に人間にゆとりがなくなっていく中で、こうして接点を、一緒に遊ぶ楽しみを作れるんだなって。

テクノロジーが垣根を取り払う

テクノロジーの進化によって、プリミティブな部分で人間が求めることを、様々な方法で、より自由に実現することができるようになった。

昔なら外に出られなければ、社会と断絶され、孤独と戦うしかなかったのが、今なら社会の一部として日々を過ごし、さまざまな動きをすることができる。

遠くの師に教えを乞うこともできる。理屈の上では多くの仕事もできる。 地理に基づく機会の損失が減っている。

そして今この流行病の中にあっても、社会が完全に麻痺してしまうわけでもなく、孤独に打ちひしがれるしかないわけでもなく、工夫次第でこんなふうに色んな楽しみ方ができる。 私は誰かと遊ぶなんてことは久しくなかったから、むしろ交流が増えたとすら言える。

いつの間にか世界はこんなになってたんだって思ったりもするし、私も生きてきた中で随分頭が固くなってたんだなって思ったりした。

世界はまだまだよくなれるから、それを使いこなしていかなきゃね。

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